こんばんは、ぴのり(@pinori08)です。
私は2020年8月〜2022年9月まで2年以上、実家で母方のおじいちゃんを介護しました。
おじいちゃんが96〜98歳のときの超高齢での在宅介護でしたが、それまで介護していた母が急逝したことがきっかけで「私がやらないと!」と、強い使命感から始まったのです。
私は介護福祉士という資格を持ち、仕事で介護経験が9年以上あることで、「なんとかなるだろう」と思いましたが、やはり超高齢、そしておじいちゃんは身体障害者でもあるのでたくさんの壁にぶつかりました…。
色々あったけど今思うと、ここまで頑張ってきて本当によかった…と思える瞬間がありました。
それはきっと多くの辛い経験や思い出が重なり乗り越えて初めて思えるものです。
人生の中で心の底から、ここまで頑張ったのはこの瞬間を迎えるためだったんだとハッとさせられる出来事はそんなにありません。
私はおじいちゃんを介護できて最後の最後に本当によかったと強く強く思いました。
今回はとても長くなりますが、これまでの介護のことやおじいちゃんとの出来事をエッセイ漫画と文章を交えて私の心の思い出にしたいです。
【注意】
在宅介護のあり方は本当に人それぞれです。
本人がどのように暮らしてきたかという背景、本人・家族の希望、室内設備、本人の残存能力を保つような介助など様々な要因が重なり合いながら少しずつベストな介護方法にしていきます。
私とおじいちゃんの場合は現役介護福祉士が超高齢&身体障害者の祖父を在宅介護したというかなりレアケースです。
こんな人もいるんだなと参考までにしてくださいね🍀
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目次
私のおじいちゃんは右足拘縮、若い頃から松葉杖で自立した生活を送っていた
もちろん腕の力をかなり使います。
そのため、おじいちゃんは90代とは思えないほど筋肉がついていました。
しかし、徐々に腕の力も弱くなってきて上記の態勢では前に進めないときもあり、とても悔しそうに辛そうに叫ぶこともありました( ; ; )
同居している私たちが滑ることなく、おじいちゃんがスルスルと前に進むのに何かいい方法はないか必死に考えた結果、室内に置くだけの『置き畳』というもので少し改善できました🍀
(畳の上ならスルスルと前に進みやすいのです。)
おじいちゃんが若い頃になぜ右足が動かなくなってしまったのかは分かりません。
拘縮しているため伸ばすことはできませんが、右足先を引っかけて左足と腕でつかまり立ちすることはできるので若い頃は自転車で買い物に行ったり(松葉杖も自転車に括って持って行く)、70代のときは自宅の階段を登ることもできて、ほぼ自立した生活ができていました。
今思い出すと、なんでも自分一人でやるためにものすごく努力して生きていた人だったんだなと涙が出てきます。
身体障害者であるおじいちゃんの最大の難点はトイレに座ること【ほぼ上り降りする感じ】
片方の足でしか立てないおじいちゃんはあらゆる道具を使って生活していました。
漫画では簡単に描いていますが、しゃがんだ状態から手すりと片足だけで立ち上がるのはかなりの力とコツがいります💦
おじいちゃんの筋力を維持するために必要以上の介助をしてはダメなので、今日はどの程度の力が残っているのか様子をみながら介助していました。
(筋力が衰える→在宅介護できなくなる→おじいちゃんの望みであるお家で過ごすことができなくなるので、残存能力を生かした介護は将来へ向けてとても重要になるポイントなのです。)
ただし、おじいちゃんの体力を維持する生活や介護というのは危険もつきものです。
転倒などの室内での事故、疲弊することでメンタルが不安定になり夜間にネガティブな妄想が始まり興奮状態になるなど様々なトラブルに波及する可能性もあります。
そうならないようにおじいちゃんの言葉や感情、行動を常に観察して、いつもより少しでも変化があれば頻繁に様子を見に行くなどかなり神経を遣って介護していました。
ある意味こちらが全て介助してしまった方が時間もかからずスムーズにできるのです。
それをやらないのは全ておじいちゃんのためであり、おじいちゃんに「生きててよかった」と思ってもらえるような在宅介護を続けたいという私なりの信念があるからなのです。
介護の負担が大きいとき、私はあまりのストレスから自分の太ももを叩きながら「なんで!?」と泣き叫ぶこともありました…😢
とても辛い記憶です。
そんなときは恋人のクロにゃんに泣きながら話していました。
感受性の強いHSPの彼に辛い話をするのは負担をかけるであまり言わないようにしていましたが、気遣えないほどに私は介護疲れで参っていました。
それを徐々に察してくれた彼は、私の声がほんの少し沈んでいただけで
クロにゃん
といつでも何でも聞き出してくれました。
もちろん、他の家族も一緒に介護してくれましたし、私は仕事量を減らしておじいちゃんの介護に比重をおいていました。
排便コントロールがうまくいくようにお薬を処方してもらったり、毎晩同じ時間にトイレに座ってもらったり、色々手を尽くしましたが、結局は排便リズムをみながら整腸薬を飲ませることと、本人が催したときに素早く介助に入るのが一番スムーズでした。
(超高齢&身体障害者であるおじいちゃんが自宅で穏やかに過ごすためには筋力維持と体力温存をバランスよく保つことが必要です。
トイレまで行って便座に座る体力を残しておくためには、決まった時間にトイレ誘導するのではなく、便意を感じたときにすぐに対応することがベストでした。)
『伝えるか、伝えないか』迫る選択、特別養護老人ホーム入所の順番が回ってきた
この時の最大の悩みはおじいちゃん本人に施設に入所することを事前に言うか言わないかでした。
最初はおじいちゃんの心の負担にならないように入所する3日前くらいに話そうと思っていました。
しかし、この頃暑さの厳しい日が続いたせいかおじいちゃんの食欲が落ちてきました。
いつもならしばらくしたらまた普段通り食べるようになるのですが、このときはずっと戻らなかったのです。
それに伴って体力も急激に落ち、体を前に進めることもトイレ介助もかなり大変になっていきました。
私もしんどくなってきて、おじいちゃんだって同じように辛いのに、この上さらに精神的ショックを与えたら一気に生きる気力を失ってしまう…!
そう思っておじいちゃんに施設入所のことは告げずに行ってもらうことにしました。
それまではおじいちゃんのケアマネさんに相談したり、自分自身でもたくさん考えて最後の晩までずっと悩み続けました。
施設入所を事前に伝えるかどうかは、『きちんと伝えれば罪悪感もなく送り出せるという私の心の負担を軽くする』ことと『伝えないことでおじいちゃんの心の安寧を少しでも長くできる』ことを天秤にかけたようなものでした。
私はいつか恨まれるかもしれないけど、最後の最後におじいちゃんが少しでも穏やかに過ごせる時間を長くできる可能性の高い『言わない』という選択肢にかけたのです。
おじいちゃんが入所したこの施設は毎週末ショートステイでお世話になっていたところだったので、介護士さんも施設自体も馴染みのあるところだったからか、入所後も「いつ帰れるの?」など聞くこともなく穏やかに過ごしていたようです。
入院、最期に伝えたかったこと、気づいた真理
おじいちゃんは意識が朦朧とする中で、私の言葉にハッキリと2回も首を横に振ったのです。
自分が施設に入れられることも、孫が辛い思いをしながら介護していたことも、それが限界になっていたことも全ておじいちゃんは感じ取ってわかっていたのだと思います。
首を2回振った瞬間そう感じました…
おじいちゃんには何度も何度も『ありがとう』と『忘れないよ』という言葉をかけました。
一時は医師に今日明日にどうなるかわからない状態と判断されたため、コロナ禍での面会を許可されました。
面会は一日一回夕方の15時〜17時の間、2名ずつ、全員で合計15分というとてもわずかなものでした。
連絡を受けて翌日面会に行った際には酸素が70台に下がる場面もありましたが、その後家族間で交代で途切れることのないように毎日通いました。
「ぴのりはまた明日くるからね、寂しくないよ」と言うと、しっかりと頷いてくれることもありました。
しかし、面会許可が下りてから2週間後、苦しそうな険しい表情が消え容体が落ち着いたことでまた面会謝絶となりました。
この先どうなるかはわかりませんが、ずっとおじいちゃんのことを想って過ごしています。
この間にこのブログやエッセイ漫画も描き上がりました。
おじいちゃんへ
小さい頃背中に乗せてくれてありがとうね
小学生の時は毎年豆まきをやってくれてありがとう
豆と一緒に小銭も投げてくれたのは最初驚いたよ
花火に連れて行ってくれてありがとう
暗闇の中を黄緑色の自転車で走るおじいちゃんの後ろ姿を今でも覚えているよ
一緒に旅行に行ってくれてありがとう
今も川下りの船に乗っている写真を見て思い出しているよ
介護させてくれてありがとう
おじいちゃんと家で最後の2年間を過ごせて本当によかったよ
おじいちゃんは本当に強い人でした
どうかこの先は心安らかに過ごせることを祈っています。
【追記】
面会謝絶から1週間後、2022年11月24日22:00頃、新月の夜におじいちゃんは安らかな表情で永眠しました。
この日の朝8時に病院から、「血圧と脈拍が下がってきています。状態がかなり落ちているので来てください」と連絡があり駆けつけました。
15分の面会時に医師が来てくれて、「肺炎を起こしていますが軽いものです。食べ物が胃で吸収されずに残っている状態なので老衰となります。酸素は最大に入れているので95ですが、血圧が80台、脈拍が40〜50行ったり来たりでこれから徐々に下がっていくと思われます。今日中に亡くなる可能性が高いです。」と色々と教えてくださいました。
おじいちゃんに話しかけても反応はありませんでしたが、目は開いて表情は穏やかでした。
看護師さんが「声は聞こえているので話しかけてあげてくださいね。手もむくむくですが握ってあげてくださいね。」と、とてもやさしく教えてくださいました。
やっぱり聞こえているんだね。
その後、私はおじいちゃんの最期の瞬間に立ち会うため、受付の方に病院の待合室で待機してもよいか聞いて大丈夫とのことで待ち続けました。
しかし、15時頃に看護師さんよりまた落ち着いてきたと教えていただき、ずっと病院にいることも迷惑と思い一度帰宅しました。
そして、21:20頃に状態悪化の知らせが来て20分で駆けつけるも、すでに息を引き取っていました…。
看護師さんが電話で知らせた後、5分ほどで脈拍が0になったそうです。
このときは最期の瞬間に立ち会えなかったことがとても悲しかったけれど、職場の人が
『おじいちゃんは孫であるぴのりさんに最期を見せたくなかったんだね』
と言ってくれました。
おじいちゃんが天国へいって10日後、お世話になった施設へ荷物の引き取りと退所届を書きにいきました。
その際に相談員の方より、入所すると多くの方が「帰りたい」という帰宅願望が出るけど、おじいちゃんは一切言わなかったとお聞きしました。
入所するんだよって言えなかったのに、やっぱりわかっていたんだね…。
おじいちゃんは本当に強くてやさしいとても素晴らしい人でした。
介護しなかったらここまで深く知ることはできなかった。
介護して本当によかった…。
最期まで私たちのことを大切に想ってくれてありがとう。
長い間頑張ってくれて本当にありがとう。
どうかどうかゆっくり休んでくださいね。
おじいちゃんのことはずっとずっと忘れないからね。
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